1. 出発 1991年 9月12日(木曜日
6時に起きるとベランダをすかして空を見た。曇ってはいるけれど風も強くなく、飛行機にはまあまあのお天気だ。昨夜のニュ-スで日本列島の南海上に台風が発生していることをちらりと見て気になっていた(台風17号)。
大阪空港12時30分発の2時間前に着くためには9時に出ると十分なので、ゆっくり食事の準備をした。
阪急岡本駅への細い道はいつも混雑しているので、タクシーはJR摂津本山駅の前で降りることにしているが、この日はめずらしく人通りがまばらだったので、岡本駅まで行ってもらった。
夫がブルガリアの学会に行く話を持ち帰ったのは6月10日。学会の日程は9月の26日から10月2日。学会が終わったらすぐ帰らなければいけないけれど、学会の前に10日程休みがとれるので、旅行の計画を立てるようにと言った。
古代文明の発祥の地エジプト、ギリシャ、ユダヤ教のメッカ、イスラエル、イスタンブール、これらはいずれも1昨年のヨーロッパ旅行の時から夫が行きたいと言っていた所であったが、この辺りの情勢は複雑で、湾岸戦争は一応終わっていたものの、クエートを中心に油田は燃え続け、イスラエルではソ連から移住してくる人たちのための住宅を占領地区に建設しているということがまわりの国々を刺激して、先が見えない状態だった。また、ギリシャとブルガリアに接しているユ-ゴスラビアではセルビア人とクロアチア人の民族独立の争いが際限なく繰り返されていた。そのような情勢なので、エジプト、イスラエルは今回あきらめ、ブルガリアに近い国で安全と思えるギリシャとトルコの2ヵ国を選び、航空券の予約に行った。
大阪からシンガポールを経てアテネに飛びアテネからトルコ、トルコからブルガリアに入り、帰りの飛行機はトルコのイスタンブールからにした。出発は9月12日、帰りのトルコ発が10月4日。格安航空券で機内食が人気のSQ航空会社を今回も利用することにした。
旅行会社でギリシャとトルコに滞在したことがあるという若い女子職員がエ-ゲ海やトルコの話をなつかしんで話してくれた。「日本人はほとんどがクレタ島に行きますが、私はサモス島が好きで、そこに長く滞在しました」。若い女性が推薦するサモス島はギリシャからトルコへ入るときに通ってみようと考えた。サモス島とトルコ領は数キロも離れていない。
着陸地と離陸地が決まったので旅行案内書を何冊か買って細かい計画をたてることにした。
まとめた予備知識などは以下
more をご参照
BC2000年から1000年の頃、ギリシャの古代の文明はエーゲ海を中心に現在のトルコ西南岸にまで広がり、エーゲ海の南に浮かぶクレタ島には2000年頃の文明を代表する遺跡が発掘されていること。
BC1000年の頃ギリシャ本土に侵入した鉄器を持った民族によってギリシャ文明はアテネを残すだけで途絶えてしまった。アテネの南ミケーネに発見された遺跡はこんな頃滅び、この時代を代表していると。
BC500年頃アテネには民主主義が起っており、この頃強国ペルシャとの戦いに勝利して、パルテノンの神殿の建設が行なわれたこと。パルテノンの神殿はギリシャの神々のための神殿であったが、その後ローマ帝国に編入された時代にはキリスト教の教会となり、14世紀から19世紀トルコの治世のもとではイスラムのモスクと姿を替えたことなども。
そしてトルコ領であった1687年ベネチア軍の攻撃を受けてパルテノンの神殿は壊れてしまい、いつかそのあとに人々が住み着いたという。1911年ギリシャはトルコから独立、神殿の大がかりな発掘再建が始まったなども。
トルコの国土は日本の2倍ほどで、東の国境近くには4、5000メートルの山が見られる。この辺りに、ノアの方舟が漂着したと信じて証拠を捜している人が今もいるという記事を最近読んだ。南はイラク、シリアの国境で、この辺りで外国人の旅行者が少し前、逮捕されている。南部はチグリスとユーフラテス両川の源流となっている。
トルコの歴史は中央のアナトリア地方の石器時代から語られる。BC8000年の頃からこの辺りには人が住んで狩猟や農耕を営んでいた跡が発掘されている。アナトリア最初の統一国家としてヒッタイト古王国がBC2000年にあらわれ、鉄器を初めて使用したことで知られている。
BC900年からBC334年この地はペルシャ帝国に征服され、その後アレキサンダーに(BC330年)、そして、ロ-マ帝国(BC27年)へと所属が代ったと。
ローマ帝国はやがて首都をビザンチウム(現在のイスタンブール)に移してビザンチン帝国(東ローマ帝国)(AD330年)と呼び名が代わった。
1071年セルジュクトルコが中央アジアにおこり、1299年にはオスマントルコ帝国が成立、ブルサを、次にエヂルネを首都とした。1453年ビザンチウムを落とし首都とし、東ローマ帝国は滅亡する。オスマントルコの領土はその後バルカン半島、東欧、アフリカ、イランに及んだ。
東ローマ帝国の首都から、オスマントルコ帝国の首都となったイスタンブールは3、4日を予定した。またトルコ中央アナトリアではカッパドキアに行ってみたい。カッパドキアはめずらしい地形を利用して外敵から逃れるための洞窟が掘られ、1万人ほどが生活出来る地下都市と呼ばれる地下の住宅を見たい。4世紀頃から作られているらしい。
カッパドキアはイスタンブールから東へ4、500キロのアンカラから、更に南東230キロのトルコの中央辺りにある。ここに行くためには少なくとも4日間は必要と思ったが、カッパドキアへの時刻表などは手に入っていない。トルコでの日程はイスタンブールに着いてから調べるしか無いようだ。
ギリシャの観光案内を東京の大使館に頼んで送ってもらった。エーゲ海の船のスケジュール、トルコへのバス、飛行機、船等の時刻表、頼んだすべてが入っていた。4日間エーゲ海クルーズというのがあってそれにはクレタ島が含まれていた。しかしこの頃にはクレタ島を除いて、エーゲ海の島々への興味は他より低くなり、興味はカッパドキアに移っていた。飛行機でクレタ島だけに行けば、カッパドキアに十分行けそうだった。アテネに着いたらまずクレタ島へ飛ぼう。クレタ島からは船でアテネにもどり、ギリシャ観光はアテネ市内とミケ-ネに圧縮。ギリシャのバス観光は昼食付きで、1日5000円くらいと書いてある。トルコ領内にも訪ねたいギリシャの遺跡は幾つかあるので、余裕があれば考えることにした。
エーゲ海の島々にはギリシャ神話にまつわるものが多くどこにも魅力があった。しかし、ギリシャの歴史を知るにつれ、クレタ島は省くことが出来ず、クレタの文明を受け継いだミケーネも外せない。
パルテノンの神殿を含むアテネの観光にはたっぷり1日を使い、ミケーネはバスツアーにする。スパルタ、オリンポスなども欲張りたいが、無理となった。