6 かたじけのうござる
学校のこまごました仕事をする人をボーイさんと呼んでいました。ボーイさんは20才くらいの背の高い中国の青年で、学生服のような黒いつめえりの服をきちっと着て髪の毛はつやつやと黒く、父の用事でよく家に来ていました。
それはちょうど、母が留守の時でした。ボーイさんは初めて私に声をかけ、炊事場に置いてあるものを指差すので、日本語でどういうのかと、聞いていると思い”たまご”、”お皿”などと教えました。青年はよく覚え、つぎつぎ早口で気忙しく聞きました。そのうち「”シエーシエー”は?」と聞きました。私は母が父の用事で来たボーイさんにキャラメルなどを上げているのを見ていたので、母に”ありがとう”を日本語で言いたいのだと思い「カタジケノウゴザル」と教えました。青年は私が言うとおり練習しました。私は母が驚く様子を想像して1日中わくわくしていましたが、その日ボーイさんは来ませんでした。
翌日学校から帰ると母が真っ赤な顔をしていました。母の顔を見た瞬間昨日のことを思い出したのですが、私が想像していた母の顔ではありませんでした。
「お前は何ということをする」。母は怒りながら下を向き、笑ってはいけない笑いをこらえ、言葉をつまらせました。ボーイさんは”カタジケナウゴザル”を母にではなく、隣の先生の奥さんに使い、びっくりした奥さんが「そんな言葉を教えたのはだれ」と聞き出して母の所に飛んできたのでした。
その晩母の話を聞いた父は「お前はそんな人を馬鹿にしたようなことを言ったりするからいけないのだ。気をつけなさい。ここは満州なのだよ。自分たちは満州に住まわせてもらっているのだから満州の人たちとは仲良くしなければいけないのだよ。明日ボーイさんに謝りなさい。お父さんも謝っておくから」と言いました。私は「馬鹿になんかしていない」と言い返しました。私には馬鹿にした気持ちは全く無く、むしろ言葉を習おうとするボーイさんを尊敬する気持ちで一杯でした。
私のシナリオではボーイさんが母に”カタジケノウゴザル”を使うと、母が腰を抜かすほどに笑い「それは昔の言葉で今は”ありがとう”ですよ」と訂正しておしまいになると考えていました。「お前は悪戯のつもりかもしれないが、相手は馬鹿にされたと思ってしまう事がお前には分からないのか」と父は激怒し、私は外に放り出されてしまいました。すっかりいたずら者と思われてしまったお隣が気になり私は泣くことも出来ませんでした。
翌日学校でボーイさんを探しました。ボーイさんは私をさけているようでした。怒ってさけているのではなく、やはり、はずかしい思いをさせられ、とまどっている表情で、父が言ったとおりの状態になっていました。私は謝る言葉を知らず、ただ頭を下げることしかできなかったことが今でも悔まれます。
すっかり信用をなくしてしまったこの一件、忘れることが出来ません。