1995年4月1日
震災から74日目、JRの住吉・灘間が復旧して、大阪から三宮まで乗り換えないで行けるようになった。
マンションの総会
総会は13時から魚崎小学校の音楽教室で始まった。 建物の傷み具合を調べたA建設会社の報告があった。地上7階建て、地下1階に駐車場と倉庫、南面に6戸、西面に1戸、東面に2戸がコの字型に建てられ、目視での傷み具合が大きいのは東面と西面の戸。補修、修理が可能かどうかの判定を行なうための目視費用は4、356、900円。
杭を地下2メートルほど掘って痛みを見た。費用は7本(7箇所)で613、450円。(はじめは25万円ほどということだったが、傷んでいたため調査の杭が増やされた)。
総会では4、356、900円の目視調査に異議が出た。目視にかかわった人は何人だったのか、とか何日かかったのかとか、要するに高すぎるのではないかということだった。しかしそれは承認された。調査の結果は補修可能ということで、補修の方法は具体的には示されなかったけれど、鉄筋を残してすべて建築時の状態に補修する方法と、共有部分だけを補修して専有部は個人持ちという方法があるということだった。立て替えとなると現在の法律では戸数が減ることになるので現実的ではない。法律が流動的なのでもうしばらく待つことにして、当分はライフラインの復活に重点を置く、ということで、高架水槽の取り替え工事の費用(2、939、125円)の承認になった。再びこの費用は高すぎるとの意見が出た。同じ商品で水槽だけなら50万円、取り替え費用に壊れた水槽の撤去費用を入れても130万円ほど、儲けすぎだという。水槽は昨日仮発注しているが、届くのは1ヵ月先ということで、安い方に変えることは出来るだろうとなった。
議長さんが建物に知識のある人は役員会に出てもらってこれからやっていきたいという動議を出され拍手で承認された。理事会役員は1年交代であったが、今回は全員継続となり、復興委員会を新たに設けることになった。
応急の出費のために10、000、000円の借入をするとの承認も時間がかかったが承認された。これから2、3ヵ月の間に方針を決定しなければいけないというS管理会社のアドバイスがあり、予定時間少し前に終了した。