紅茶を飲んでも吐き気を感じていたが、小笠原の島が見え始めると吐き気は無くなった。海から垂直に立ち上がって見える弟島、兄島、地図の側面が楽しい。港に入ると船は沖のブイに繋がれる。その太いロープが目の前の甲板をすべる。
この日のオプションツアー「大神山パノラマハイキング」は早々に完売となり、私たちのスケジュールは町での食事、博物館、三日月山からの鯨ウオッチングに変わった。
島民1900人という父島に「きそ」の乗客700余人が漁船に分乗して運ばれた
港近くの大村海岸に寄せては返す透明なブルーの波を長い間眺めた。
砂浜の砂は珊瑚のかけら?
通りにはにコンビニのお店が2つ3つ,町はさびしい。
ビジターセンター近くでやっとレストランの看板を見つけた。
中は「きそ」のお客さんが何組か。
ビジターセンターは活気にあふれていた。
そこで小笠原特有の植物を幾つか知った。
東京都から遠く離れた小笠原の島々が日本領土となったいきさつは面白い。
1853年浦賀に現われた総督ペリーは父島に1853年5月8日から12日まで寄港している。
幕末咸臨丸が1861年に小笠原の調査に訪れた時、すでに捕鯨関連の30数人のイギリス人アメリカ人が島に住んでいたそうだ。
鎖国の長い眠りから覚めた日本、あわてただろうか?
太平洋戦争当時、島民7000人弱が日本に強制疎開、それから24年後の1968年に島は日本に返還され、公用語が日本語となって、日本語を知らない欧米系の人が島を離れたと書かれている。
1675年島谷市左衛門が測量して作った
地図(無人島八十余島)を元に作られたとあります
三日月山への道は遠く、途中で引き返した。
大村の街並 停泊中の「きそ」
帰船用通船は15時30分から16時30分まで、乗り遅れると船に帰れない。
31日の島巡り遊覧船の出発は7時45分。朝とお昼用の食べ物を買って、きそに帰る。
夕食は6時のオープン 久しぶりに豪華な夕食