1995年2月24日
罹災証明書を貰うために10時に家を出てJRで住吉へ。生協の広場に行くと行列が出来ていた。1時間ほどで建物の中に入り、さらに1時間ほどかかって罹災証明書を手にした。
地震の当日、倒壊した建物のエレベーターに乗っていた人のことが新聞に出ていた。エレベーターが激しい横揺れの後、強い衝撃を受けて気が付くと額に血が滲じみ、エレベーターが落下したと思った。水の噴射音がするので火災が起こってスプリンクラーが働き水没すると思って一時息苦しくなった。水音が止んだのでエレベーターをこじ開けようとしたが出来なかった。やがてヘリコプターや救急車の音が聞こえたりしはじめたので助かったと思ったが、素通りするばかりだった。なんとか出ようと色々なことをしているとエレベーターのドアが開いて、明かりが下に見えたので、足元のドアをやっと開けてフロアに出ると建物が傾いているためつんのめりそうになった。やっと外に出たのは午後1時、辺りの建物が倒れるなど、あまりの光景に、近付いてきた青年に「
何があったのですか」と聞いたらけげんな顔をした という記事だった。